昭和56年3月10日 月次祭
(途中から?)お道の信心は、祈念祈祷で助かるのではない。話を聞いて助かると。と教祖様は教えておられますけれども、過去百年のお道の信心を振り返って、おかげを受けて来た人達を見ますと、ほとんどが言うなら一心、一心に神様におすがりをする。一心に頼む。もうそれこそ一生懸命にお参りをする、修行をするして、おかげを受けるという例が一番多いんです。
話を聞いて助かると言う、いわゆる金光教本来の信心が段々こう陰が薄うなって。話を聞いて、心が開かれる。心が開かれるそこから神様との交流点と、まぁルートが生まれる。そのルートを辿って頂けれるおかげと、教祖様は仰るのでしょうね。
今日は、午前中の奉仕の時でしたでしょうか、宮崎からお参りをなさった方が大変おかげを頂いて今日はある方を又一人お導きをして見えておりましたが、この方は耳が聞こえない方であった。佐賀の、宮崎の佐田さんのお導きでお参りをして来ておる。そしてお参りをして、したその帰り道に、えらい自動車の中で、エンジンの音が聞こえて来る。えらい喧しい。
行きがけには、こちらへお参りをする時には音がしなかったが、帰り(ち?)自動車に故障かなんかおきとるとじゃないかと、えらいエンジンの音がやかましいがち、いや普通ですよっち言うて、というて、初めて自分の耳が聞こえるようになった事に気が付いたっち言う。
やはりおかげを頂いて、まぁ言うなら音の世界からこう、かくりされておられたような方が、色々聞こえるようになった。この前の25日の婦人会には佐田さんと一緒に参拝にして、もう感動いっぱいで、そん時には(お礼?)を発表しておられた方でございます。
だから、今日お参りになった。そしてその色々お届けをなさる中に、この頃は雑音が聞こえすぎてなりません、とこういう。言うならばいらんことが聞こえて来るということです。ね、それこそ聞こえん昔の方がよっぽど楽だった。まぁ色んな煩わしい問題、色んなことが聞こえて来る。というお届けがございました。皆さん、どう思われるですか。
( ? )さんの(おばさ?)の説教の中で聞いたと言う話を私にしてくださった方があった。目の見えない方が、ね、まぁその神様からのご利益で目が開いたと言うのです。今まで仲良かった、その奥さんがあまりにも起用がよくなかったから、それから離婚された。というような話なんです。見えない時にはもう実に心優しい家内だった、と夫婦円満であった者が目が見えるようになったら、奥さんの起用の悪いところが見えるようになって、まぁよく似た話であります。
聞こえるようになったら、なるほどもう夜中の夜ならず雑音が様々に聞こえて来る。で、今日私その方に、まぁ申しましたことでしたけれども、これからが言うなら信心ですね、これからが教えを頂いて、いわゆる話を聞いていよいよ助かって頂かなければならんですね。特別な神様の御神徳のおかげで信心も出来ん、分かりませんのに、初めてお参りをさせて頂いて、帰りにはもうそうした奇跡のおかげを受けた。ところがその、雑音が聞こえて、苦労難儀だとこういう。
だから、聞こえて来るその一つ一つが、神の声に聞こえ、いよいよ私を励ましてくれる声に聞こえ、ね。言うならば幸せになることの、それを元にもして行く頂き方がこれからの信心によって、頂かれなければならん。というて、今朝からの御理解をまぁ聞いてもらった。
今朝からの御理解は、まぁ一口の御理解でした。ある教会の奥さんが参って見えて、おかげが受けられん。どういうような信心すればおかげ頂けれるでしょうかと。信者が助かるでしょうかと。そうですね、奥さんあなたがね、いわゆる金光様のご信心はどこまでもやはり実意丁寧神信心が芯になるのですから、今まであなたがね、このくらいのことと思うて粗末にしておったこと。
ね、又は、ね、あー、面倒臭いなと、言うなら思うような事をないがしらにしておったと。そういうこのくらいな事と思ったり、ね、面倒臭いなと思った時ほど、そのことを大切になさったら、おかげが受けられる。あなただけじゃない、信者が助かるようになりますよと言うて、お話を伝えた話を今日はさせて頂いたんです。
心が開けた。ね、そしてもう早速から、それに取り組むことが出来る教えである、言うならばその教会長の、教会の奥さんの心が開けた。ね、お話を聞いて心が開ける。ね、私は初めてお参りをした方達によくお話をすることなんですけれどもね、世の中には親を大切にせねばなん、親に不孝をしてはならん、もう誰でも知っておることであり、誰でもそうありたいと願っておる。
ところが親に心配をかける。そして、自分のような親不孝もんはなかったと、親が死んでから気が付く。ね、それはどういうことかと言うと、もういよいよ親に孝行がしたい。親に安心してもらいたい、親に喜んでもらいたい。ね、本気で親孝行がしたい。今頃は親孝行の話なんかがあんまり流行らないそうですけれども、これは何時の時代にあってもです、この真だけは変わらないと私は思うです。親が子を思うと言うことは、それこそ教えんでも、親が子を思うと言うことは出来ますけれども、子が親を思うと言う所は思いましてもです、その親に喜んでもらいたい、安心してもらいたい、どうでもその親孝行がしたいという思いが足りない。
お先祖を大事にせにゃいけんと頂きながら、なかなかもってお先祖をね、立派にお仏壇を祭りしておりますだけであって、果たしてその御霊様が喜びなさるような奉仕が日々できておるか。親で、先祖を大切にせにゃならん、親をもう大切にせにゃん、親の喜ぶ顔をみる事が楽しみと言うようなあり方にならせてもらうとおかげを受けますよと。
それは、そのおかげを受けなければならない人の心を、開いて差し上げる手立てなんです。はーほんに先生あなたがそげん言いなさりゃ、家の仏壇なもう本当にゴミだらけ。花は枯れたまま。ね、親にも、親不孝しようとは思わんばってん、一つも親孝行が出来とらん。もう今日からは本気で一つ親孝行をさせて頂こうという気になる。そこにね、心が開けて来る。
神様の期間、心にかのうた心が開けて来る。神様との交流が始まる。おかげの言うならば話を聞いて助かる言うなら糸口のようなものが、あるんですね。ですからその、今日はその宮崎の方にも話たのもです、これからは耳が聞こえるようになった。そこで話を聞くようになって、ね、そこから今度は様々な雑音も聞こえてころうけれども、その雑音が例えて言うならば、ね、
借金取りの声もうぐいすの声というように、聞こえるようになる手立てが、これからは修行を頂かなければいけんのですよ。というて、まぁお話聞いて頂いたことでございます。
親が子を思う、子が親を思う。思い思われる。そこからあいよかけよの道という、言うならば、お道で言われるところの助かり。自分だけが助かりゃよいというのじゃない。神様も助かって頂かなければならない。
先だって私は、まぁ、まぁ普通で言うなら心が騒ぐような、穏やかでないことを聞いた。神様にそのことを御取次を願わせて頂いたら、★「神の都合」と頂いた。もう途端に私の心は平生に変わった、ね。自分の都合ばっかり思うておると、ね、神の都合が分からんのである。はー、そんなら例えば、こういうなら悩みとか苦しいと言うことが、この十倍例えあっても、それが神様のご都合であるならば、ね、神様の第一の忠義者に取り立てて下さいというような願いをさせて頂いたこともある私なのですから、ね、あ、神様のご都合というのなら、もうね、神様がままになっていかれておるというか、神様のご都合での事ならばと。
昔頂いた、まぁこれは、この御理解に次ぐ御理解でしょうけれども。願うた事が成就すると言うのは、本当のおかげではない。右と願えば左、左と願えば右。そういう時こそ神がままになっておられる時と仰せられる。
ね、そして、そこを通り抜けた向こうに、それこそ夢にも思わなかったようなおかげの展開。これが本当のおかげじゃと。言うなら願い以上思い以上、夢にも思わなかったようなおかげを頂かせて頂くことのために、まずは親の心が分からなきゃいけない。親神様の思いが分からなければいけない。右と願っても左になった時こそ、ね、これは神様のご都合だね、(かたつく?)くらいの心の状態が開けてこなければんらんのです。
今日、お礼参拝をして見えました方の中に、秋永英治君のお得意さん、始めその一件がお導きされておかげを受けられたら、もう次々ともう村中に、ご親戚がひどい。その方達が次々とおかげを頂かれて、今はその一家、一門がお参りをしてまいります。
先だってからも、遠方にいっておられる弟さんがある難儀な問題で、とうとうその頭を、どっか可笑しくなった。会社は首になった。もうその暴力ふるわれる。私は感心しましたことはもう、その兄弟いくらもある、または叔母さんとか伯父さんとかという人達がね、(うっさりっくり?)お願いに来るんです。その遠方に行っておられる弟さんのこと。ね、私はもう感心した。まぁあんたかたんごとん一家中でお願いするならおかげにならんことなかろうのっち言うて、まぁそのたんべんに申しましたほどしに、もう一家を一門を上げてお願いに見えるんです。
そしたら、これが十日位前だったでしょうか、その、まぁ間違った事言うたりしたりする、その弟さんが、その会社の方へいかれた、そしてその社長に合わせろと言うて、まぁ社長にあって、それこそもう涙を流してその社長に頼まれた。今私が首になったらね、子供達が立ち行かんち言うて。首にだけはしてくれるな、と言うてその、まぁその歎願されたと言うことです。それからね、こりゃまだ子供ん事ば忘れられんっちゅうごたるならまだ本当に間違うちゃおらんぞと。と言うてまた、そのそんなりで明日から出て来いと言うので、まぁ出られるようになって今日のまたはお届けでしたが。
おかげで本当に平生のようにおかげを頂かれる。私はそのもう親の心というて、もう自分な間違うてそれこそ、まぁ間違ったこと言うたりしたりしよるその人が、子供の事だけには間違われない。ね、子供が路頭に迷うて、言うてま、その願われた。その切実心に、社長が動かれた。それから復職が出来た。
おかげでそれから段々、それこそあの、(がげの?)兄弟、伯父さん叔母さん達が皆一生懸命の祈りもさることながら、ね、本人の心が元に段々戻って。この何日後にか、こちらでその、おいごさんの、その方の甥にあたる方の結婚式がある。その結婚式には夫婦でおかげを頂くと言う電話があったという働きであった。と言うほどしにおかげを頂いておる。
もう本当に親が子を思う切実心ですよね、これは。それに社長さんが打たれなさったんです。ね、やっぱ神様もね、やはりそれをやっぱ感じなさる。氏子の願いが一心と言うその一心が、貫かれる時に、神様に言わば反応のないことはない。おかげを受けられる。ね、そういう例えばけいこうが一、強いんですね。一心にお願いをして一家中でお願いをした。ね、一生懸命お参りさせて頂いた、御取次を頂いて、おかげを頂いた。
言うなら聞こえん耳が聞こえるようになった。聞こえるようなったら、今まで聞こえんで良い、そげなことはもう聞かんほうがましと言ったようなことまでが聞こえて来るようになった。聞こえることがかえって、聞こえたことが荒になるような感じである。そこでこれからは、言うならば、その聞く耳を頂いたのであるから、み教えを頂かなきゃならん。
そして、今申しますように、直ぐ今からでも実行出来れる。たったこのくらいな事と思うておったことやら、はー面倒臭いなぁと思うたそのところを本気で大切にして行け。はー、そうだなぁと、今日からそれを実行しよう。手紙が来た。直ぐ返事を出さなきゃならないのに、一日延ばし二日も延ばしするような事では、おかげにならんと言うことが分かって、それに取り組んだ。
ね、そこに神様とのおかげのルートが、意図口が開けて来た。親に孝行、不孝しようとは思わんけれども、親に孝行しようとしてたまらんというような人こそが親孝行な、と言う孝子と言うことになるでしょうが、ね、そういう思いに一遍なってみろうと思うた。本気で親に安心してもらう、喜んでもらおうと思うた。そこに神様の期間にかなう心が開けた。そこから一つのルートが出来て、おかげが交流する。
ね、このくらいな事でおかげ頂くのであるから、次々と頂く教えを元にしての信心生活が出来るようになったら、いよいよおかげの世界。金光教で言うおかげの世界とは、そういう世界をいうのであり、そういう世界に住まわなければ合楽世界には住まわれないと私は思います。神様が助かってくださり、ね、どうじに私共が立ち行くおかげを頂かせてもらう。
この頃、朝の御理解が大変短くなった。皆が喜ぶ。どうですか皆さん。もうこのくらいで止めた方がようか。ね、それでもやっぱりおかげを頂く。今朝の御理解なんかは、それこそ一口の御理解でした。ね、今日の例えばお月次祭に聞いて頂いたこともです、ね、金光教の信心によって助かるということは、一心にお願いをする御取次を頂いて助かるという、言うなら助かりから。
本当にどういう雑音が聞こえて来ても、どういう問題が起こってきても、それを信心で頂かせてもらえれる信心。教えを頂かせてもらう。言うならば合楽理念をマスターすると、それがね、本当に、なんと言うでしょうかね、もう本当に「難あって喜べ」「難はみかげ」と仰るが。もう本当に難ではない、難儀ではない。神様がこいう力、こういうおかげを下さろうとする働きだとこういうとが、分かったら、それをそのままおかげとして受け止めることが出来る。
もう必ずそれが、いわゆるおかげにつながって行く。そういう生き方をね、これからは耳が聞こえない間は、ね、何にも聞こえんから、楽だったけれども。聞こえるようになったら、雑音までが響いて来る。その雑音の中に、神のこえを聞く。ね、見えなかった目が見えるようになった。ある意味では、それこそ、ね、見ざり、言わざり、聞かざりでよかったけれども、いよいよ見えるようになったら、家内の起用の悪さが見えるようになって、とうとう離縁になったと言ったような結果で、神様がおかげを下さった値打ちがない。神様もこんな(おなじき?)はなかろうと思う。
特別なおかげを渡したのに、その特別なおかげがかえって氏子を不幸せにするような結果になってはなりません。そういう神様のご心配の程を、私共が分からせて頂いて、おかげを頂いたあかつきの事までも思うて、いよいよ神様に喜んで頂けれる信心、一心にすがっておかげを頂くという信心から、一心にお話を頂いて、その御理解を元にして、心が開かれる。
神様の心と交流しあうような手立てが段々出来ていくという事をです、ね、言うなら楽しみの信心になっていかなければならんと思います。
この15日に、信徒大会があり、今までの大会とはちょっと違った、最近合楽での信心が一つの転機を迎えたと言われるくらいに、合楽の信心が変わってきた。朝の御理解が短くなったのも、その転機の一つの現れであろうと思います。もういよいよ一口の御理解でも無駄にしない、その一口の御理解をいよいよ自分の血に肉にするという、そういう心の、おかげのルートを大事にしながらです、おかげを頂いて頂きたい。
この信徒会にはそういう一つの合楽の、まぁ転機にたったところの信徒大会になりそうです。いよいよおかげを頂いて、金光教の信心がこんなにも有り難くて素晴らしくて、合楽理念がこういう、先日から頂きました、もうとにかく「世界ナンバーワン」ということを頂いたんですけども、どういう所がナンバーワンなのか。どういう所が、一番、今までかつてなかった前代未聞の宗教であるか、というようなことをね、お互い銘々一つ分からせて頂かなきゃならん。ね、そういう絶対のものを頂いて、そこからいわゆる話を聞いて助かる手立てというものが頂けなければならんという風に思います。
どうぞ…(一時の間)
それには、どうでも自分の都合ばかりを言うておる信心から、ね、神様のご都合がいよいよ分かるような信心を頂き、進めて行きたいと思います。どうぞ。
梶原 佳行